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黎明から“キューブサウナ”まで。日本のサウナの軌跡

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日頃から私たち日本発のキューブサウナ“サウネア”をご愛顧いただきましてありがとうございます。いまだにサウナビギナーな私、“O-JI(オージ)”が素朴な疑問や新鮮な印象をお伝えできればと思っています。ぜひよろしくお願いいたします。今回は、日本におけるサウナの黎明期から第3次サウナブームで“バレルサウナ”に至るまでの歴史についてご紹介します。ぜひ最後までご覧ください。

日本のサウナ黎明期

日本の第1次サウナブームが1964年の東京オリンピックをきっかけに起こったことはなんとなく分かっていましたが、それよりもっと前の戦前にも日本にサウナが入っていたことが『日本サウナ史』(草彅洋平著)に書かれていて、日本のスポーツ発展とサウナが密接に関わっていたことが分かります。
始まりはサウナの本場フィンランドと日本とのスポーツを通じた関係からでした。
1920年代のフィンランドはスポーツ強豪国で、特に1924年の第8回パリオリンピックではメダル獲得数が参加国全体で第3位、さらに金メダル獲得数はアメリカに次ぐ2位という驚くべき結果を残しました。そこで日本選手が同じ小国でありながら大国を上回る成績を出せるフィンランドに注目して、その強さの秘訣を学ぶために1920〜30年代にかけてフィンランドに留学。こうして戦前の陸上選手たちは、フィンランドの選手たちの影響を受けてサウナ浴や水風呂(プール浴)を体験しました。
ちなみに日本人で“ととのう”感覚を初めて文章に残したのもオリンピック選手で、のちに金メダルを獲得したことでサウナがスポーツ疲労回復に役立つことを実証しました。
このように遡ってみると戦争で一回途切れて忘れられていましたが、実は日本におけるサウナの歴史は、戦前からあって100年以上続く息の長いものだったのですね。
戦後では1957年、銀座に日本初の公衆サウナ施設「東京温泉」が開業されました。開業当初のサウナは、首から上だけを出す1人用の「箱形蒸し風呂」でしたが、それから6年経って現在のような複数人が入浴できる「サウナ室」が作られました。これには当時の日本独自の技術で作ったため、最高80度程度でしたが床の配管がむき出しで足下がとても熱かったそうです。これは1993年に設備の老朽化により閉館されて、現在のGINZA SIXの近くにある跡地には当時の建物がありません。残っていれば日本初のサウナ施設をぜひ体験してみたかったのに残念ですね。
この「東京温泉」の創業者は「許斐氏利(このみうじとし)」というクレー射撃のオリンピック選手でした。メルボルンオリンピックに参加した時に選手村にあったサウナを見て、日本にもサウナを作ろうと決意して作られたのが「東京温泉」でした。

第1次サウナブーム

1957年に「東京温泉」ができた当時はまだサウナブームにならず、第1次サウナブームは、1964年の「東京オリンピック」をきっかけに選手村や競技場に設置された本場フィンランドサウナをマスコミが大々的に取り上げたことで起こりました。
そして次々とサウナ施設が開業されて、1966年には渋谷に日本初の本格的フィンランドサウナ「スカンジナビア・クラブ」がオープンします。
このサウナを設計したのがフィンランド人で、本場フィンランドと同様にロウリュできたそうです。これを皮切りに全国にサウナ建設が加速しました。
第1次サウナブームによりピーク時には4000店以上あったサウナはオイルショックによる不況の影響で半分ほどに減ってブームが収束したと言われています。

第2次サウナブーム

世間の健康志向が高まってきた1980〜90年代に第2次サウナブームが起こり、スーパー銭湯や健康ランドが次々と誕生しました。これらの施設はそれまでの銭湯とは違い、郊外に広い駐車場を完備して、岩盤浴、露天風呂、薬草湯、ジェットバス、電気風呂などの多種多様な浴場があるレジャー施設がほとんどで、この頃の温浴施設は、お風呂+αの部分をどれだけ充実できるかが注目されていました。健康ランドには必ずと言っていいほどサウナが付いていて施設の増加に伴ってサウナ利用者も増えた結果ブームに至りました。
実はこのような開業ラッシュにはバブル経済の崩壊の影響が強いと言われています。バブル崩壊で不良債権化した土地の利用方法として、人間の生理的欲求の強く、運営コストの安い温浴サービスが注目された結果、2000年を過ぎる頃まで数多くの施設がオープンしました。
2000年代になると老舗の銭湯が、増加したスーパー銭湯に対抗するため生き残りをかけて次々とリニューアルオープンし始めます。

第3次サウナブーム

2019年あたりから再びサウナが注目されます。過去とは異なり、SNSなどITインフラが整っているおかげで、多くの人がサウナの情報に触れる機会が増えて、老若男女に広まりました。その中でも「サウナイキタイ」とういう施設検索サイトにより、「サウナに行きたい」と思った時にすぐに施設情報を得られるようになりました。そこではサウナや水風呂の温度、外気浴場の広さや椅子の数などの情報や、日記のように投稿できるサウナの感想が利用者によって更新されています。これまでは口コミだったりサウナ施設を個々に検索したりして調べるのが手間でしたが、このまとめサイトの登場で地域や利用目的に合わせた検索が簡単にできるようになって、特に若年層にサウナがより身近で親しみやすい施設として認識されるようになりました。

“キューブサウナ”など、多種多様なサウナの増加

また第3次サウナブームはそれまでのサウナのイメージを変えたことも挙げられます。
フィンランドのサウナ文化に影響を受けた施設が増えたことで、サウナは暑くて苦しいところから、サウナは心地よく気持ちがいい所。サウナは中年男性がいく所から、サウナは老若男女誰もが楽しめる所。サウナはただじっと我慢している所から、サウナは自分と向き合いデジタルデトックスできる所。など新しい価値観が生み出されました。
2020年頃から「ソロサウナ」「個室サウナ」「貸切サウナ」など、より少人数で高クオリティなサウナで女性が安心して楽しめる施設も増えて、今では「サウナはおじさんが行く所」と考える人は少なくなりました。
また、この頃のアウトドアブームに合わせて、テントサウナによる“アウトドアサウナ”が流行し、そのニーズの高まりを受ける形で2021年初めから海外産のバレルサウナ輸入サービスが開始されました。これはテントサウナに通じる個人向けサウナトレンドの新潮流とも言えます。
こうして振り返ってみると一口に第3次サウナブームと言っても、この数年の日本におけるサウナ文化の多様化と発展は、過去のブームの比ではなく変化を続けるサウナに今後も目が離せません。

まとめ |サウナの日本史は奥深く今後の発展にも期待

今回は日本のサウナ黎明期からそれぞれのブームをご紹介しました。日本のサウナの歴史を振り返ると、オリンピックに始まった「スポーツ」による第1次ブーム、「高度経済成長」と「健康指向」による第2次ブーム、そして現在の第3次ブームでは、「ストレス社会」がキーワードにあげられ、サウナブームは社会的影響や時代のニーズに合わせて必然的に起こっていることが分かります。今回ご紹介した第3次サウナブームだけでも内容が濃いうえ変化が著しいものですので、今後のさらなる発展がとても楽しみです。サウネア独自のキューブ型サウナ“RIISI(リージ)”も日本のサウナ文化の発展と共に進化しつづけています。ぜひ今後ともよろしくお願いいたします。最後までお読みいただきありがとうございます。